目次
1 自己紹介、メンバーになったいきさつ
2 学校で感じた違和感
3 探究活動を通した思考の転換
4 活動にあたっての思い
5 最後に
1 自己紹介、メンバーになったいきさつ
こんにちは。このサイトを訪れ、この記事を読んでくださりありがとうございます。
ミライエコールメンバーのなつなです。現在20歳、大学1年生です。この記事では、私がミライエコールのメンバーになったいきさつや、ミライエコールのメンバーとして活動するにあたっての思いを通して、自己紹介をするとともに、ミライエコールがどんな団体なのかについて少しでも知っていただけたらと思います。
私は、ミライエコールの発起人でありリーダーであるセナさんと15年来の親友で、同じ小学校にいた頃にも、中学校から学校が別々になっても、学校内の問題(主に校則や生徒指導に関する問題)について強く共鳴し、手を取り合って様々な形で改善に取り組んできました。問題解決を目指す中で私たちは自分たちの力不足を痛感し、「学校をよりよいものにしたい」「学校が、生徒と先生とが真の意味で対等に尊重される場所であってほしい」などの思いを持った同志を多く集めて影響力を高めていき、校則や生徒指導に関する問題に限らず、まだ浮上していないものも含めた、教育現場における種々の課題の解決に向けて動きたいと考えるようになりました。そうしてできたのがこのミライエコールです。
2 学校で感じた違和感
記憶にある中で私が最初に学校に疑問を抱いたのは、小学校で「置き勉」(家で使わない教科書を学校に置いて帰ること)の禁止を言い渡された時です。家では不要な物までわざわざ持ち帰ったら荷物が重くなって体が痛くなる、だから荷物の量を調整する、という自分が快適に過ごすためのごく当たり前のことをしているだけなのに、なぜそこまで口出しされるのだろうか?自分が、自分に必要なものと不必要なものとを分けるところにまで、なぜそんなにも口出しされるのだろうか?大人と子供との関係や先生と生徒との関係、強制とはどんなことなのかということなど、色々なことを考え合わせてそう思ったというよりは、ただ強い違和感や嫌悪感を感じたのを覚えています。
その後、公立の中高一貫校を受験して入学するのですが、そこではさらに猛烈な違和感や嫌悪感を感じることばかりがありました。生徒各々の到達度に関わらず学習法が細かく決められていて、そこから「はみでる」ような生徒は、赤文字で名前が書かれて黒板に貼り出されたり、毎日のように居残りさせられていたりしました。スカート丈が基準より短くなっていないか確認するために、女子がひざまずかせられたり、また、校則の運用が先生によって異なり、下着の色や靴下、タイツ、ヘアゴムなどが一部の先生によって厳しく制限されていたり、上着の着方、着ていい時期まで決められていたりして、そのやり方から「はみでる」と、先生に呼び出されて怒られたりしました。 「私の学校でもそうだったし、そういう学校は多いし特に変わったことではないだろう」と思った方も多くいるでしょうか?私にはこれらの指導は合わず、何度もひどく体調を崩しました。居残り学習で勉強が嫌いになったり、学習を放棄してしまったりする友達や、学校のやり方に合わず、せっかく受験して入学した学校をやめていく友達を何人も見ました。
私は、私の好きな色やデザインの服を着て気持ち良く過ごし、色々な友人たちと語らい、学習においては、知識や方法を学びながら、その上で自らの力で考えてやり方を見つけ出し、楽しみながら学びたい。それを誰が何の権利をもって妨げることができようか?中高生はまだ保護されるべき存在で、大人よりは経験が少ないとはいえ、なぜ対等な人間として尊重されないのか?それぞれの生徒の中に眠る、素晴らしい花を咲かせるような芽が様々に育っていく大切な時期に、それを支え見守るのとは対照的に、学校の枠からはみでた生徒を排除するような学校で育った生徒たちは、その後の人生において「はみ出す」ことを恐れるようになり、それが各々にとっての幸せの追求を妨げることになるかもしれない。 中高時代、私はこのようなことをいつも考えていましたが、学校のどんな指導よりもショックを受けたのは、ほかの生徒の多くが、学校のどんなやり方にも疑問を抱かないか、あるいは抱いていたり不満を感じていたとしても、どうせ変えられないものだと諦めていたことです。そのような学校や生徒の現状を目の当たりにして私は、学校にはいろいろな背景や考えを持った人が集まっているのだから、学校のやり方に不都合が常に生じているのは自然なことだし、組織内の人や時代がかわっていくとともに、学校内の仕組みや決まりは多少なりとも変わっていくべきだと考えました。そして、生徒が従う学校の仕組みや決まりが、生徒の力が及ばないところで決められて運用されているということが、何よりもおかしいと強く思うようになりました。
3 探究活動による思考の転換
しかしその一方では、周りの生徒が違和感をあまり感じていない状況に際して、ただ私が変わっているから、または無知だからそのように感じてしまうだけかもしれないなどとも考えて不安になることもありました。そして、不自由さや窮屈さに対する強い違和感や嫌悪感からきた、学校はこうあるべきだと私が強く信じることを信じられなくなることも多々ありました。今となっては、それがあったからこそできたことかもしれないとも思うのですが、これをきっかけに、高校の「一人一研究」という取り組みにおいて、学校教育や生徒の主体性についての探究を始め、約2年半かけて探究しました。この探究は、学校教育についての私の考えを大きく変えたものだったので、ここではかいつまんで私の探究について紹介しようと思います。
初めのうちはテーマを「世界と日本の学校教育」と大きくとって、欧米やアジアなど外国における学校教育と比較した日本の学校教育について調べました。その結果の中で、日本の学校教育が目指す、欧米などの国におけるそれとは異なった方向性を表すキーワードとして、「統一」「社会性」という言葉が浮上しました。これを受け、恐らく自分が感じた違和感はすごく変わったものというわけではないのだろうと考えましたが、そもそもなぜ自分は周りの人と違って違和感を感じるのだろうと考えもしました。また、調査に用いた資料の解釈が主観的になってしまったとも感じたので、学校に強い違和感や嫌悪感を感じていた私一人で探究するのではなく、他の人はどのように感じ考えているのかを広く調べたり、対話によって探究を深めたいと考えるようになりました。そうして、調査人数を大きく増やして、校則のない学校を取材した番組を視聴した感想を生徒や教員にアンケートで調査したり、また、学校教員や学生、中高生、教育委員など様々な立場の人を全国から集めて、学校における自由、先生や生徒の関係などについて自由に議論するZOOM座談会を開いたりしました。これらの調査を通して私は、学校をよりよいものにしていくためには、私が持つ学校教育の理想をどうにか押し通そうとするのではなく、学校の成員皆が同じように尊重されながら、学校内のあらゆることについての話し合いが行われることが不可欠であるとの考えに至りました。
4 活動にあたっての思い
改めて、私の周りでみられた学校の現状を振り返ってみると、とてもそのような話し合いがされているようなものではなく、むしろ、生徒は自分たちで学校をよりよく作り替えていくことにあまり意欲を感じておらず、声をあげた生徒は抑圧され、やっと起こした小さな変化はいつのまにか元に戻っているような始末です。そのような学校は日本全国にあるでしょう。私は、全国の生徒・学生にそれぞれの場所で改革を起こしてほしいとは思っていません。生活において感じる、小さな困ったことを解決する自然な工夫の延長線上に、皆で話し合って自分たちが暮らす環境をよりよくしていくことがあると思っています。そして、どんな人にも、「これが困る」「これはおかしい、こうすべきだ」と思いながらも悶々とするだけでいる権利があるのと同様に、声を上げて訴える権利があり、それを色々な人と様々なやり方で話し合う中で、新たなよりよいものが生まれてくるのだと思います。今の日本ではますますそう感じられにくくなっているのかもしれないけれど、そういうことが自分とは縁のないものだと思っている人に、少しでも身近に感じてほしい。自分が暮らす環境には自分自身も参与していて、このほうが心地いいといつでも主張することができ、変えられる可能性があるのだということを、一度でも味わってくれたらうれしい。私はそんな思いで活動しています。
5 最後に
通っていた学校のやり方にたまたま疑問を抱き、学校教育に関して上のような思いを抱くようになって、こうして今活動していますが、私は教育に関して特別な知識を持っているわけでも、学校を変えられた体験を持っているわけでもない、普通の青年です。昨年度は浪人生だったのですが、予備校で必死に勉強する傍ら、学校外で学ぶ状況において学校をみることで、学校が生徒や社会に果たすべき役割はどのようなものなのか、先生が生徒に教えるということはどのようことなのか、また生徒が学ぶということはそれぞれの成長段階においてどう変わっていくのかなど、様々なことを新たに考えもしました。その時に考えたことも思い出しながら、色々な考えを持った、さらに多くの私と同じような多くの普通の人たちと話ができたらいいなと思っています。
この記事で少しでも引っかかるところがあったならば、またこのサイトに立ち寄ったり、声を私たちに届けてくれたりすると嬉しいです。ミライエコールの活動を通してたくさんの人に出会えるのを楽しみにしています。
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