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バリアのない学びの場とは?合理的配慮の視点から学校教育を考える

はじめに

 

 突然ですが、こんな状況を想像してみてください。

 大学生のAさんが受けようとした授業は、エレベーターのない建物の4階の教室で、対面のみで(オンライン開講はなく)行われることになりました。しかし歩くことが難しく車いすを使っているAさんにとって、階段をのぼることは難しいです。教室まで行って授業を受けることができないので、しかたなくAさんはその授業を受けることをあきらめてしまいました。

Aさんがその授業を受けられなくなってしまったのは、車いすを使っているからでしょうか?この場合、車いすを使っている人は、授業を受けることをあきらめるしかないのでしょうか?

障害の社会モデルとは?

Aさんは、エレベーターさえあればその教室に行って授業を受けることができます。また、オンライン開講がされていれば、その教室に行かなくたって授業が受けられたはずです。

このように考えると、Aさんが授業を受けることをあきらめるという結果をもたらしたのは車いすを使っていることではなく、授業が行われる環境が車いすを使わない人を想定したもので、車いすを使う人のことが十分に考えられていなかったからだといえます。

つまりここには、社会の環境やルールなどが障害のない人にとって便利なものになっていて、障害のある人にとって不便なもの(=社会的障壁)になっているという状況があります。障害のある人の活動が制限されることは、こうした状況によるものであるという考え方を、「障害の社会モデル」といいます。

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2002/13/news114.html

上の記事では、車いすを使う人を想定しており、二足歩行の人のことを想定せずにつくられた環境のレストランが取り上げられています。障害の社会モデルを理解するのにとても役に立つと思います。

合理的配慮とは?

社会モデルに基づいて考えると、この場合はAさんが授業をあきらめるのではなく(もちろん階段をのぼれるようにリハビリをするのでもなく)、授業を行う建物にエレベーターをつけることや授業をオンラインでも開講して、Aさんが授業を受けられる環境を作ることが必要だといえます。このように社会的障壁をなくすための取り組みのことを、「合理的配慮」といいます。

合理的配慮は、ずるいことでも思いやりでもありません。社会の環境やルールが誰かにとっては便利で、誰かにとっては不便なものに偏っているから、その偏りをなくすためのものです。かわいそうだから配慮してあげる、というような思いやりではないのです。そして合理的配慮は、不便を感じている当事者との建設的な対話を通して要望を受けたうえで、意志を尊重しながら個人個人に合った方法で行われる個別の調整です。また合理的配慮は、提供主体に過重な負担がないときに実施することが事業者に義務付けられています。

上の例のAさんは、個別の対応をとってもらうために大学側との建設的な対話を行うことになります。授業の担当の先生にメールを送ったり、学生支援課に相談したりして、合理的配慮が実施されるように動くことになるでしょう。

バリアのない学びの場を考える

教育を受ける権利は、だれもが持っているものです。だから最初に挙げた例のような、社会的障壁があるために授業を受けることをあきらめるという状況は本来あってはいけません。学校で過ごすうえで不便さを感じる学生がいるならば、個々のニーズに合わせた合理的配慮を実施することでその不便さを解消することが必要不可欠です。

一方でその前段階として、想定されうる社会的障壁を解消していくことで、より多くの学生にとってバリアの少ない学びの場を作ることを目指すことができるし、そうするべきだと考えます。私自身が思いついたものを下の表にまとめてみました。

不便さ解消するために
階段や段差があり、移動が不便エレベーターやスロープを設置する
聴覚のみによる指示や教示を理解することが難しい文字や絵などを使って示す
板書をノートに写すことが難しいタブレット端末を使って勉強できる用意をする
じっと座っていることが難しい座席の位置を工夫する
教室まで通うことが難しい授業をオンラインで開講する

 学びの場で、このような不便さが解消されるような取り組みを実施できれば、障害のある人に限らずより多くの人にとって過ごしやすい場所になるのではないでしょうか。例えば指示や教示を文字や絵などによっても示してもらえれば、口頭のみのときよりも理解しやすい授業になるかもしれません。ふだんは教室に通っている人がけがや病気で教室まで行けないという場合にも、授業のオンライン開講は役に立つと考えられます。

まとめ

 先ほど挙げたレストランの記事の中では、車いすを使う人にとって自分でドリンクバーから飲みものを運ぶのが大変だということなど、当事者でなければ気づくことが難しいような不便さに触れていました。このように、便利さを享受している人が他のだれかが感じている不便さに気づくことは難しいのです。私が上の表で挙げたこととは別の不便さを感じている人もいるでしょう。

 だからこそ、まずだれかが経験しているかもしれない不便さを想像してみること、そして不便さを感じている人がいるならば、その当事者が声を上げ、その声を受けた側は当事者と建設的な対話を行って個別の調整を実施することが重要だと考えます。当事者自身が授業担当の先生や学生支援課などに相談すること、大学側に学生が相談できる環境が整っていることは、学生がバリアを感じずに学ぶうえで欠かせません。それでも、当事者が声を上げることや実施できる合理的配慮を検討することは、簡単なことではないでしょう。私が上で挙げた想定される不便さを解消する策では不十分で、それらとは別の方法で調整をすることのほうがむしろ多いかもしれません。

 しかしこれらのことが実現すれば、多くの人が不便さを感じることなく学びを享受できるようになっていくでしょう。これは、バリアのない学びの場をつくり上げることにつながるのではないでしょうか。

ライター:ミライエコール 花

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