はじめに
こんにちは!今回の話題は中学校・高校での部活動についてです。
多くの人が中学校・高校で、部活動に所属している・した経験を持っていると思います。みなさんにとって部活動とはどんな場所でしたか?
今回この記事を書くにあたって、
①何部に所属している(いた)か
②良いと思う指導はどのようなものか
③理不尽・不適切だと思う指導はどのようなものか
の3つの質問によるアンケートを実施しました。答えてくださった方、本当にありがとうございました!
(今後もわたしたちミライエコールは、いろいろな場面でアンケートを実施することがあるかと思います。そのときはぜひ参加してもらえるとうれしいです!)
部活動の意義
今回の記事では、部活動がどのようなものであるべきか考えてみたいと思います。まずは現在の状況を調べてみました。
スポーツ庁・文化庁によれば部活動は、「体力や技能の向上を図る目的以外にも、異年齢との交流の中で、生徒同士や生徒と教師等との好ましい人間関係の構築を図り、学習意欲の向上や自己肯定感、責任感、連帯感の涵養に資するなど、学校という環境における生徒の自主的で多様な学びの場として」の教育的意義を持つものです。
つまり部活動とは学生が、
・部の活動内容(例えばサッカーや楽器など)が上手にできるようになること
だけではなく、
・(普段の授業では接することの少ない、先輩や後輩なども含めて)よい人間関係を築く
・学習へのモチベーションを高める
・自己肯定感を向上させ、責任感や仲間と協力する体験を得ることができる
ような、学校での自主的で多様な学びの場であるべきものだとされています。
みなさんの声
ここで、いただいたアンケートへの回答を見てみましょう。
「良いと思う指導はどのようなものでしたか?」
・ワンプレー毎にストップをかけて丁寧に状況に合わせたプレー法を教えてくれた。(バスケ部)
・言葉の指導ばかりにならず、実践しながらアドバイスを挟む。(マーチングバンド部)
・返事や挨拶等の礼儀。(陸上部、バスケ部)
・中高一貫校で、中学2年生の頃から高校2年生の先輩と話すことができ、刺激を受けた。(テニス部)
・生徒がメニューを考えることが多かった。だから生徒自身の意見が反映されることも多かった。(サッカー部)
「理不尽・不適切だと思う指導はどのようなものでしたか?」
・大声で怒鳴る、大勢の前で叱るなど。
・暴力をふるったり物に当たったりする。
・「できていないからもういい」「帰れ」とほったらかす。
・怪我を自己責任とする指導。
・学年や個人の上手さの差で若干の贔屓(ひいき)があったこと。
※こちらは、具体的な部活名は省略させていただきます。
ここで、スポーツ庁・文化庁が示す部活の教育的意義とアンケート結果から、部活の現状とよりよい部活像について、メンバー3人で議論してみました!
良かった点として「生徒自身の意見が練習に反映されていた」という意見があるね。
私は高校時代テニス部だったけど、顧問の先生はテニスが専門外だったので、練習内容は基本的に生徒に任せていて、自分たちで練習のメニュー考えざるを得なかったんだよね。そのせいか、あんまり勝てなかったけど。
割と多くの先生が、経験したことがない内容の部活の顧問に割り当てられると聞いたことがあるからなあ。部活は試合で勝つことがすべてではないけど、勝負事は勝てないと楽しくないからさ……
ところで、今年の甲子園で慶應高校が優勝したことは、注目すべきことかもしれないね。丸刈りを強制せず、練習時間もほかの野球強豪校よりは短い学校が日本一になったという事実として。
確かに「練習時間が長いほうがいい、きつい練習がいい」というような価値観が見直されるきっかけにはなりそうだよね。
良かった点に、「返事や挨拶等の礼儀」が身についたという意見もあるね。部活以外の場にも活かせる、精神的な面を鍛えられると感じた人もいるんだね。
それを聞いて真っ先に思いついたのは、武道系の部活だなあ。柔道、剣道とかは礼儀作法が一番身につきそう。
それもそうだけど、運動系の部活には大体当てはまるんじゃない?あと精神的な面で言うと、運動部はきつい練習に耐える根性がつきそう。
それと、さっきTAKENは武道は礼儀作法が身につくって言ってたけど、文化部でいうなら茶道部とかも礼儀作法を重視してるはずだよね。運動部に限ったことでもなさそう。
そういえば、私は部活中にテニスコートの外を(顧問でなくても)先生が通りかかったら、練習を止めて全員で挨拶するという決まりがあったんだよね。
通りかかるだけで!?それって練習中だとそもそも気づけるのかな?こういう決まりもそうだけど、側から見ると行きすぎた礼儀や挨拶が「風習」になってることもあるよね。
理不尽だと思った指導には「できていないからもういい」「帰れ」のようなことを言われた人がいるみたいだけど、こんなことを言う意味ってあるのかな?これこそ生徒が精神的に鍛えられるんだ、という解釈はできるけど結果論でしかないよね……
練習がうまくいってない様子を見た先生がヒートアップして、感情を抑えるため(発散させるため)にそんなことを言ってしまうのかもしれないね。
「体罰を受けた」という人もいたようでちょっとショックだった。ヒートアップして体罰に走る先生もいるんだろうなあ。あと、「先生側で贔屓(ひいき)があった」という人がいたのも気になった。
ヒートアップや贔屓をしてしまうことの根底には勝利至上主義があるんじゃないかな?勝てないと意味がないという価値観こそが、こういう指導を生んでいるのかもしれない。
でも実際に、スポーツの強豪校でも理不尽な指導はあるよね。そして強い人はそういった強豪校から出てくるわけで、ゆくゆくはプロの選手になったり世界と戦ったりすることもあるから、そこまでいくと勝ちにこだわらないわけにはいかないじゃん。だから部活のレベルでも勝利至上主義をなくしていくべきだ、とは言えないと思う。
学力という観点で言うと、進学実績が抜きん出て高い学校は、先生が生徒の学習に不必要に介入してくることは少ないよね。生徒が自主的に勉強する環境になっているからね。(参考:開成・灘 特別教育対談)勉強がこうなっているなら、スポーツもこうなっていいのでは?とは思うなあ。
勝利至上主義ではなく、それぞれのやりたいことのためにやるという純粋な動機から部活があってほしいよね。その「やりたいこと」は「勝つこと」でもいいわけだし。そうなれば、回答にあがったような理不尽な指導が生まれることを未然に防げるんじゃないかな。
アンケートの回答からは、上述した部活動の意義にも書かれているとおり、部活動において体力や技能の向上、よい人間関係を築くこと、責任感や仲間との協力を学ぶことにつながる指導が行われていることが見受けられました。特に生徒にメニューを考えさせるという指導は、自主性を育むものだといえると思います。
その一方で、中学校・高校には、顧問の先生やコーチが学生を怒鳴る、暴力をふるう、ものに当たるなどの行動に出る、などといったことが起きている部活動があることがわかりました。特に、生徒が何かミスをしたときに怒鳴ったり叱ったり、暴力的な行動にでるような指導が行われることがあるようです。また、学生に不公平感や精神的苦痛を感じさせる言動が起こっていることもわかります。
学生にとって、このように問題のある部活動の実態について声をあげることは難しいと感じられると思います。先生や学校との関係が悪くなるかもしれないし、周りの目が気になる。勇気が出ない。そんな風に考える人も多いでしょう。
当事者である学生の中には、その状況に対して声をあげようという考えも浮かばず、当たり前だと考えてしまう人も多くいると思います。しかし何か行動を起こさなければ、辛い思いをする人は絶えません。(参考記事:安倍首相銃撃事件から考える、痛みの正しい訴え方とは?〜たおのエッセイとメンバーの思い〜)
実際に今、部活動において理不尽・不適切な指導に苦しんでいる学生は、大きな声をあげずとも、誰かに相談することが大切だと思います。時間が経っても、傷を残す可能性だってあります。顧問の先生とは別の先生でも、保護者でも、友達や先輩、後輩だっていいです。ひとりで抱え込んではいけないし、我慢する必要もありません。
学生一人ひとりが、自分のやりたいことに夢中になれる、達成感や自己効力感を得ることができる、人間として成長することができる、仲間と喜びを分かち合える。すべての学生にとってそれぞれの所属する部活動が、そんな学びの場であってほしいと願います。
今回の記事はアンケートの内容・特性上、学生目線からのものになりました。しかし先生の目線から見ると、別の様々な問題があると思います。授業準備や生徒指導等で忙しい先生が部活動までを指導することは負担が大きすぎるし、休日の活動に十分な対価が支払われていないという問題も知られています。その観点からも、部活動とはどうあるべきか、これから考えていく必要があるでしょう。?
さて、この記事はみなさんが今所属している部活、またはかつて所属していた部活について考えるきっかけになったでしょうか?何か意見があれば、Xで#ミライエコールで共有してみてください!
〈参照文献〉
https://www.mext.go.jp/sports/content/20221227-spt_oripara-000026750_2.pdf