1.はじめに
こんにちは。ミライエコールのセナです。
私の高校では、体育の授業が男女別で行われていました。このことについて私は、
①みんなで一緒に授業を楽しみたいという理由でも、
②ジェンダーは男女だけではないという理由でも、
全ての授業を別にするのに違和感を覚えていました。
しかし、男女にはどうしても体格差や体力差があり、完全に同じフィールドでスポーツを行うのは難しいという意見もあると思います。
そこで、今回は「体育の授業は男女別?」というテーマで、記事を書いてみたいと思います。
2.さまざまな意見
体育、そしてスポーツとジェンダーについて、専門家の方はどのように見ているのでしょうか。いくつかの論文や記事などを取り上げて、見てみたいと思います。
①学習指導要領
まず、文部科学省の学習指導要領には体育の授業について何と書かれているのでしょうか。
学習指導要領(【保健体育編 体育編】高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 (mext.go.jp))第2章第2節の「4.内容の取扱い」には、
(球技や陸上競技などの種目を選択できる)授業においては,体力や技能の程度、性別や障害の有無等にかかわらず運動やスポーツを楽しむことができるよう男女共習を原則とするものである。
と書かれており、ほとんど全ての授業を男女別で行うというのはこれに反することになります。ここでは、あえて「体力や技能の程度、性別や障害の有無」にとらわれずにみんなで「楽しむ」ということが重視されていることが分かります。
②「保健体育授業における男女共習化が 生徒の学びに及ぼす影響 」
次に、「保健体育授業における男女共習化が生徒の学びに及ぼす影響」(石塚・小松・鈴木、2020)を見ていきます。ここでは、実際に男女共習化を経験した中学生たちへの調査の結果が述べられています。
まず、「運動有能感」(※運動に対する自信)に関して、「男子の方が上手だったので教えてもらうことができた」というような、男子が女子にアドバイスすることを肯定的に捉える記述もあると述べられています。しかし、教え合いを双方向にし、双方の自信につなげていくことが課題とされています。
次に、「体育授業における学習観」について、女子は、男子からアドバイスをもらうなど男子がいることを肯定的に捉える一方、「女子が何もしないので、余計に動く」など、男子は女子の能力差をカバーすることを悲観しているように感じる生徒も存在するといいます。
このように、実際に男女共習化を行った場合、当事者である生徒たちの声にも無視できないものがあるようです。
③「体育教育から見る、”スポーツのジェンダー化”問題」
「体育教育から見る、”スポーツのジェンダー化”問題」というVOGUE JAPANの記事(体育教育から見る、“スポーツのジェンダー化”問題──井谷聡子×清水晶子【VOGUEと学ぶフェミニズム Vol.13(後編)】 | Vogue Japan)において、スポーツとジェンダー・セクシュアリティ研究者の井谷聡子氏は、海外の例として、
「全員が初体験のルールで行うことで、楽しみながらスポーツに関連した身体技能を習得していました。ジェンダーや経済状況によって生まれやすい技能差を極力小さくすることで、多様な背景や身体を持つ生徒が一緒に学び、プレーできる場を設ける、ということを体育の授業の目的にしています。」
と紹介しています。ここでは、①で紹介した学習指導要領の「スポーツをみんなで楽しむ」と同じ目的を達成するために、工夫がなされた授業が行われていることが分かります。
そして、「トランスジェンダーがスポーツに参加することによってシスジェンダー(※トランスジェンダーでない人)の女子選手の活躍の機会を奪ってしまう」という「懸念」に対して、清水晶子氏は、「実態とかけ離れたそのような「懸念」を理由にしてトランスジェンダーの子ども達が「自身の身体と向き合うための知識」を習得する機会と権利とを制限しようとするのは、スポーツの果たすべき役割を考えれば、非常に問題があると言わざるを得ない」と述べています。記事中で井谷氏は、
「アメリカでは大学スポーツを統括するNCAA(全米大学スポーツ協会)が2011年にトランスジェンダーの参加基準を設けていますが、これまでトランスジェンダーの選手の参加によりシスジェンダーの女子選手が奨学金を受けるチャンスを失ったというケースは聞いたことがありません。」
という実例を挙げています。
このことからも、少なくとも現時点では、根拠のない懸念によってトランスジェンダーの選手の権利を制限するのはよくないと思います。しかし、そのことで本当にシスジェンダーの選手の権利を制限する実例が出た場合には、難しい問題だと感じました。学校における体育の授業でも、トランスジェンダーの生徒が参加する可能性はあるので、男女別習のもとで行われる授業も一筋縄にはいかないように思います。
④「体育の男女共修・別習を考える」
次に、「体育の男女共修・別習を考える」(宮本、2020)では、まず別習授業がよいという理由として、
1)男女には体力・技能差がある.技能差があると学習が上手くいかない.
2)そもそも男子と女子では指導方法も目標も違うのだ。オリンピックも別競技ではないか。
3)男女一緒だとお互い気を遣う.接触場面で困るし、男子が女子に負けるとかわいそう。
4)男子向きの種目、女子向きの種目という学習指導要領の名残がまだ生徒にも存在する。
が挙げられています。
そして、男女共習についての様々な実例を挙げた上で、「これまでに述べてきた例から,同じ種目を同時に学ぶことが出来た場合でも、何を目的にして、どのような方法で授業を作るかによって、男女共習が生かされたり、逆にお互いの格差を生み出しかねない状況になったりもする」と述べています。「そもそも男女では体格差があるから」ではなく、周囲や教師、授業の作り方による「男子はこうあるべき」「女子はこうあるべき」「男女の関係はこうあるべき」などの固定観念によって生徒の学びが変わるのかもしれないと気づかされます。
3.さいごに
ここまで様々な意見を紹介しましたが、いかがでしたか?
私は、必ずしもスポーツが得意な生徒だけではなく、学級全体で行う体育の授業だからこそ、「男女の壁を超える、克服する」という考え方というよりも、「性別に関わらず、1人1人の違いを尊重し、それを意識せずともスポーツと向き合えるような体育」を目指すことがとても魅力的だと思いました。
この記事が皆さんの考えるきっかけとなってくれたら嬉しいです。
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【参考文献】
文部科学省、「高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 保健体育編 体育編」、2018年
石塚諭・小松理那・鈴木剛、「保健体育授業における男女共習化が 生徒の学びに及ぼす影響」、2020年、宇都宮大学教育学部研究紀要第1部、70号、277-289頁
宮本乙女、「体育の男女共習・別習を考える」、2020年、36巻、2号、27-32頁
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