なぜ生徒が学校で意見を言えないのか
メンバーのたおさんが以前書いてくれた『たたかいのススメ』では、正しいたたかい方とその必要性について述べられていました。「たたかい」をできごととしたとき、先ほどの「ゆるし」の分類によれば、たたかう前と後の両方に「ゆるし」が存在することになります。そして、学校内で生徒が学校を改善しようとして誰かしらと衝突するとき、その前にも後にも「ゆるし」が存在すると僕は考えています。
具体的に、「学校内で生徒が学校を改善しようと意見を言うこと」をできごとの例として考えてみようと思います。
この場合、「たたかい」の前の「ゆるし」とはどのようなものでしょうか。「自分が自分の行為を事前にゆるす」という観点からみると、それは生徒が「自分は学校で意見を言っていいのだ」と自分自身をゆるすことにあたります。
視点を変え、「他者が自分の行為を事前にゆるす」という観点からみると、それは先生や他の生徒、学校の制度、親が「その生徒は意見を言っていい」と生徒をゆるすことにあたります。前者は生徒自身の内的要因、後者は生徒のまわりの外的要因です。
外的要因が完全に整備されたら、つまり、あらゆる生徒が意見を言うことのできるような環境をつくり出したら、すべての生徒が自分の意見を言うことができるようになるでしょうか。僕はそうは思いません。
どんなに環境が整っていても、生徒自身がその環境を利用して意見を言っていいと意識的にあるいは無意識的に感じていなければ、つまり、生徒がその環境を利用する自分自身をゆるしていなければ、その環境は利用されないと思います。
令和3年度に国立青少年教育振興機構が公表した『高校生の社会参加に関する意識調査報告書 − 日本・米国・中国・韓国の比較 − 』では、『日本の高校生は、学校の生徒による自治活動に「とても参加したい」「まあ参加したい」と 回答した割合が 40.2%で、中国の 79.5%、韓国の 72.0%、米国の 47.0%に比べて最も低い』ことがわかりました。一方で、『日本の高校生は、「学校の運営や今後の方針などについて、学校が生徒の意見を求める必要があるか」に対し、「ぜひ求めるべきだ」「まあ求めるべきだ」と回答した者の割合が9割を超え、米国に次いで高い』こともわかりました。生徒は学校側が自分たちの意見を求めるべきだと感じているのに、生徒自身が改善するために学校運営にたずさわりたいとは必ずしも思わない。このギャップは何によるものでしょうか。僕は内的要因、外的要因の双方がこのギャップを生みだしていると思います。
まず、内的要因について考えます。平成25年度に文部省が13歳〜29歳の日本の若者を対象におこなった『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』では、「自分自身に満足している」と感じる割合は45.8%、「自分には長所がある」と感じる割合は68.9%で、いずれも諸外国と比べてかなり低い数値でした。また、「諸外国と比べて、うまくいくかわからないことに対し意欲的に取り組むという意識が低く、つまらない、やる気が出ないと感じる若者が多い」こともわかりました(文科省『特集 今を生きる若者の意識〜国際比較からみえてくるもの〜』より)。
自己肯定感が低いことと活動意欲が低いことは相関関係になっているとされています(1)。もちろんこれは因果関係を示すものではありませんが、自己肯定感が低いと、自分が積極的に意見を言ったり広い世界をみたりすることに抵抗が生まれ活動意欲は低くなるでしょう。
そして、学校側に意見を聞いてほしいと思っているのに自分では活動できない要因のひとつは、この自己肯定感の低さにあると僕は考えています。つまり、自己肯定感の低さにより、生徒が意見を言うというできごとを、生徒自身に対して事前にゆるさないということです。