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『ゆるしのススメ』− 学校で生徒が意見を言うことができない理由とは

 これを裏返すことが正しいかどうかはわかりませんが、学校で思うように活動できず活動意欲がそがれると自己肯定感が下がる可能性もあるのではないでしょうか。もしそうだとすれば、自己肯定感が下がれば活動意欲はさらに低下し、活動意欲が低下すれば自己肯定感もさらに低下する……というような負の連鎖に陥ってしまいます。

 重要なことは、生徒が意見を言えるような制度的な環境をつくるのは大前提として、そのうえでさらに先生が、生徒が意見を言うことをゆるすことにあるのだと思います。

 「無条件に先生と生徒がコミュニケーションすることができる」とは「先生側が無条件に生徒の意見をすべて受け入れる」ということとはまったく異なります。決して生徒の声をすべて実現しなければならないというわけではないのです。

 問題は先生と生徒が無条件に話し合う場が不足していることです。子どもにとって、自身の混乱や違和感を他者に説明することはとても難しいことです。特に自己肯定感が高くない子どもは勇気を人並み以上に振り絞って自分の意見を話さなければなりません。先生含め大人はそうした子どもの意見をまずはしっかりと聞き入れるべきだと思います。それから子どもたちとともに話し合い、何を受け入れ何を受け入れないかを子どもたちとともに決定していくべきなのです。

 子どもは積極的に意見を言い話し合いの場に参加することで、自らの意見を言う権利には制約があることを学んでいきます。「これは受け入れられたがこれは議論しても受け入れられなかった、自分のしたいことがすべてできるわけではないのだな」といった風に。

 しかし、話し合うことを話し合う前から拒んでしまっては、子どもは自らの意見を言う権利はもとから「存在しない」と考えてしまいます。これでは活動意欲も自己肯定感も低下するのは明らかでしょう。一方で、子どもの意見を何もかも言う通りにすることもまた、そうした制約が存在することを子どもに学ばせる機会の喪失につながります。重要なのはバランスなのです。

これは子どもたちだけの問題ではない

 もし子どもたちが、自分には意見を言う権利とその制約が同時に存在しているということを十分に学ぶことができないまま大人になったら、どのようなことが起こるのでしょうか。

 ひとつ考えられることは、大人になっても自己肯定感や活動意欲が低く、意見を言うことに抵抗を覚えたままになるということです。そしてこれは、現在の学校の先生にも当てはまっている人がいるかもしれません。たとえ生徒を取り巻く環境に改善すべき余地があるとわかっていても、自己肯定感の低さからなかなか言い出すことができないこともあるのではないでしょうか。先生にとって意見を言うことのできない内的要因が自己肯定感の低さにあるとしたら、それが形成されたのは従来の家庭や学校の中なのです。

 では、外的要因は何に当たるのでしょうか。それは先生の多忙や人員不足、保護者からの圧力などだと思います。先生の心の余裕をなくさせる外的要因が、生徒と真正面から向き合い、話し合うことを事前に先生にゆるしていないのです。

 しかし、このままではいけないことも事実です。先生の多忙や人員不足はもちろん解消しなければなりませんが、「生徒が自分の意見を学校で言えるようになる」という目標を達成するために最も必要な手段は、「先生が生徒の意見を聞こうとする」ことです。意見を言うことに抵抗を覚える生徒に現状改善を期待しても限界があります。大人が手を差し伸べる必要があるのです。

 「生徒が自分の意見を学校で言えるようになる」ということは、学校だけでなく社会全体にも関わる問題です。家庭や学校で形成された「自分が何を言っても変わらない」という感情は、たとえば選挙での低い投票率にも大きく関わる問題ではないかと思います。また、働いていて労働環境が悪いと感じても、内的要因と外的要因によって言えなくなってしまうことにもつながるのではないでしょうか。

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