目次
1 高校時代の経験
2 中学時代の経験
3 生徒が意見を言いやすい学校の条件は?
4 まとめ
ミライエコールメンバーのたおです。
生徒の自治がそれなりに尊重される学校で中高時代をすごしてきた私は、ミライエコール代表のセナさんの高校での経験を聞いたとき、とても驚きました。
彼女の高校では、生徒の意見は全く学校に届かず、意見箱すらなかったらしいのです。
生徒だと意見を言ってはダメですか? ミライエコール 山口セナの体験談(前編) – ミライエコール
生徒だと意見を言ってはダメですか? ミライエコール 山口セナの体験談(後編) – ミライエコール
私の出身校には中高どちらも意見箱があり、生徒会による学校との交渉や意見への回答もきちんとされていました。
なので、セナさんの話を聞いたとき、こんな疑問が浮かびました。
彼女の学校と私の学校はどこが違ったのだろう?
この記事では、生徒が意見を言える学校には何が必要なのか、私の経験を振り返りながら考えてみたいと思います。
1 高校時代の経験
私が在学していたある公立の進学校では、生徒自治会がきちんと機能していました。
いちばん印象に残っているのは、教室の古くなったプロジェクターにまつわるエピソードです。
当時、プロジェクターの老朽化のせいで画像がうっすらとしか映らず、生徒も先生も困っていました。
授業中にとある先生が、
「何年も前からこの状態だ。私から交換を提案しても通らなかったので、あなたたちから学校にかけ合ってみてほしい。」
とこぼしていたのを覚えています。
そこで私は、連名の要望書を生徒自治会に出してみようと思いました。
学年のLINEグループで署名を集め、要望書を自治会役員に手渡すと、半年も経たずにプロジェクターは交換されました。
裏で役員の人たちが学校側にかけ合ってくれたのだと思います。
このほかに印象深かったのは、生徒の申請をもとに、生徒自治会がクラスや部活動の予算を決めていたことです。
全校生徒の前での決算報告や活動報告では、毎年活発な質疑応答が行われていました。
ノートを片手に、「レジュメのここは誤りではないですか」「あなた方が掲げたこの公約は結局どうなったのでしょうか」などと新聞記者さながらの鋭い質問を浴びせる人もおり、見ている先生や生徒もとても盛り上がっていたのを覚えています。
もちろん生徒自治会の制度や活動にも限界はありました。
すべての役員をそろえてから立候補する団立候補制がとられていたため、役員選挙のとき対立候補はめったに出ませんでしたし、服装規定の改定など、何代もの自治会が交渉しても実現できなかったこともあります。
しかし、自治のプロセスそのものは尊重されていました。
対立候補が出なくても信任投票は行われ、白票を含めた集計結果が貼り出されていました。団立候補制そのものの改定についても、生徒会内部で問題提起がなされたことがありました。服装規程の改定についても、議論は自由にできたはずです。
さて、では、私の高校で生徒自治ができていた理由はなんでしょうか。
進学校だったから?
しかし、進学校でもセナさんの学校のように自治が不活発な例もあります。
私は、生徒自治ができるかどうかと偏差値にはあまり関係がないのではないかと思っています。
その理由の一つが、中学時代の経験です。
2 中学時代の経験
私の出身中学校は、入試のないごく普通の公立校でしたが、生徒会執行部は毎年特色のある活動を自由に行っていました。
私も半年間、執行部に入っていたことがあります。
私たちの代では、歴代の執行部が行っていた朝の校門前でのあいさつに加え、あいさつをしながら校内に積もった落ち葉掃除をしたり、楽しくあいさつできるよう外国語を取り入れてみたり、箱を持って不要な文房具を集め、学校が支援していた東南アジアの子どもたちに送ったりしました。
そうした執行部の活動に先生たちも協力的でした。
お知らせのために校内放送を使うことにも許可が下り、「かわらばん」という会報は、下書きを作れば全校生徒に印刷して配布してもらえました。
かわらばんのチェックのために何人もの先生をたらい回しにされたり、当時自分ではよくわからないと思った理由で修正の指摘が入ったりと、組織ならではの困難さに突き当たることはありましたが、経験の乏しい中学生の活動を、先生たちはよく尊重して見守ってくれていたと思います。
さて、では、私の中学校で生徒自治ができていた理由はなんでしょうか。
一つ考えられるのは、私の出身中学校が比較的生徒数の少ない学校だったことです。
私の学年はおよそ120人で、前後数年の中では多い方でした。
役員選挙は役職ごとの立候補で、1人の候補に2人の応援演説がつくことになっていました。
応援演説がすべて同学年から出されたとして、執行部の定員が5人であることを考えあわせると、学年の10%弱は生徒会活動に積極的に関わっていたことになります。対立候補が出ることも多かったことを考えると、この数はもっと多いでしょう。
人数が少ないので、同学年の執行部員とは学年のほとんど全員が顔見知りです。
同学年に限っていえば、要望も伝えやすく、生徒会活動に積極的に参加・協力しようという気が起きやすい環境だったといえます。
また、生徒数が少ないことで、先生たちにも生徒の自主性に任せる余裕があったのかもしれません。
しかし、大人数でも私の中学校以上に生徒自治が尊重されていた学校もありました。
近くにあったある公立中学校は、1000人規模のマンモス校でしたが、服装規定を完全に撤廃しており、制服がありません。
生徒の自主性を重んじる校風で、部活も強いと評判でした。
さて、では、生徒による自治を可能にする学校の条件とはなんでしょうか。
偏差値でも生徒数でもないとすれば…?
3 生徒が意見を言いやすい学校の条件は?
生徒が意見を言いやすい学校も、言いにくい学校も、一度その校風ができれば、それはかんたんに変わらない、という傾向があるのではと思います。
私の高校では、生徒が入れ替わっているにもかかわらず、毎年新聞記者のような人がいて決算報告で質問を投げていました。
例にあげたマンモス中学校も、制服を撤廃した20年以上前から、ずっと問題なく学校運営を続けているといいます。
入試がないため、20年の間にはいろいろな生徒がいたはずですが、一貫して生徒の自主性は守られているのです。
おそらくどちらの例でも、自治に適した生徒がいるから生徒自治が行われるのではありません。
自治の習慣が一度根づけば、生徒が入れ替わっても続けていくことができるのです。
反対に、セナさんの例のように、生徒の意見を聞く習慣がない学校に自治を導入するのは困難でしょう。
校則改定や制度構築も大変ですが、そもそも、長年続いてきたことを変えるということに大きなエネルギーが必要になります。
生徒の自由に任せることに対して、保護者や地域の人々から不安の声が上がるかもしれません。
校風を理由に入学した生徒や入学させた保護者は、制度の変更を望まないかもしれません。
しかし、自分自身の経験から、生徒の自治を重んじることは、必ずしも学校と生徒が対立することではないと私は思います。
私は中高での自治に関わった経験から多くのことを学びました。
生徒自治での試行錯誤を通して、自らの手でよりよい未来をつくり出せると信じることができる生徒を育てること、そのための方法を身につけさせることもまた、学校の役割ではないでしょうか。
4 まとめ
生徒が意見を言いやすく、生徒による自治が尊重される学校の条件は、偏差値の高い生徒がいることでも、先生の目が届き、生徒どうしの距離が近い少人数の環境でもありません。
必要なのは、自治の前例・習慣だと思います。
しかしこれは、答えになっているようでなっていません。
そもそも自治の習慣は、どのようにして根づくのでしょうか。
その習慣のない学校に自治を導入するなら、何をすればいいのでしょうか。
これらの新たな問いについては、私たちも引き続きその答えを考えていきたいと思います。
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